<< May 2012 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>


京都
2012.03.05 Monday | 23:40 | 日記 | comments(0) |
京都へ戻ってきました

今回は少ししか実家に滞在できず
薫が京都に帰りたがりませんでした


慌ただしかったけれど
法事に参加できてよかったです
色んな事に気がつくことができました
ちゃんと今を大切に
考えることを辞めずに生きていこうと思います

部屋の梅が綺麗に咲いてくれていました

東京から引っ越すと決め、何処に住もうか悩んでいる時にふと訪れた京都
その日から京都で暮らす私達の毎日があります
何らかのインスピレーションを感じた京都を楽しんでいけたらいいと思っています



法事
2012.03.04 Sunday | 21:35 | 日記 | comments(0) |
今日は52歳でいってしまったおばちゃんの法事

あれは8年前だったかな
おばちゃんの病気、ガンが発症したのは

最初は喉
手術で腫瘍は取り切れたのに次は血液のガン
戦い続けたけれど
最終的には肺にまで転移してしまい
片方の肺がなくなり
水がたまるようになり
咳がとまらなくなり
もう長くはないと言われ
みんなで向き合ってきた

抗ガン剤治療で大変だったのに
会うとニコニコしてくれておしゃべりだった
死ぬと解って過ごしていたのに
未だにいないことが信じられない

おばちゃんは子供達と孫達と病院で誕生日を過ごした後
死んでしまった
みんなのめっちゃ笑顔の誕生日会の写真を見せてもらった
従兄弟は楽しそうに写真を見て振り返るけど
私はギリギリの感情でしか見れなかった
明らかに引きつり笑い

おばちゃんは離婚しているのでおじちゃんにはあまり会えなくなった
おばちゃんの子供は長女・次女・長男
3兄弟がなんだかんだ色々あるけれど仲良くて
3人でひとつといった感じが私にははっきり見えて
言葉に表せない気持ちになった
みんなそれぞれ家庭をもっているけれど
長女が影から支えながら3人で頑張っていくんだろう
子供の頃から一緒に過ごしてきたし
みんなが大人になっていることに感無量

おばちゃん、見てる?
みんなちょっとずつだけど成長してるよ
私はまた会いたいです
またお菓子食べながらあーだこーだ言いたいです
「なつみ、なつみー」って言って欲しいです
最後に会った日、私から距離をおいていたあの感じが切ないです
私にはどうすることもできなかった
何と話しかけていいかわからなかった
ごめんね
また、プラ〜と行ってしゃべって帰るだけという普通の日を過ごしたいです
もう無理なのかな?
そんなことってあるのかな?

法事の後、お寺のお坊さんと話した
おじいちゃんも54歳で亡くなっていて
おばちゃんも52歳という短い命だった
田舎だし、先祖代々のお墓も預かっているのでお寺さんとのお付き合いは長い
2人ともまじめで責任感が強くてしっかりしていたからこそ心労もあったと
いつも人のことばかり考えて目一杯頑張っていたと
おじいちゃんの性格のことを聞いたのは始めてだった
私が1,2歳の頃に死んでしまったから私には全く記憶がないのです
母とおばちゃんから、私が赤ちゃんの時おじいちゃんにお風呂に入れてもらい
うんちをしてしまい大騒ぎしたことがあると聞いたことがあります
おじいちゃん、その節はすみません

おばあちゃんは認知症で法事に来ていても?な感じなのに
お経だけはしっかり覚えていて最後まで読み上げていた
これには親戚みんなでびっくりした

あ〜〜
自分の血筋、ルーツ、思い出、家族、親戚
なんで私はここに帰ってこなかったんだろう
今はまだよくわからない

だれにだって、人には言えない悲しみ苦しみがあるんだね
黙ってるだけなんだね

泣くにも泣けず、誰にもわかってもらえず
つらかっただろうな

会っている間は別れている
別れてはじめて出会う

私がなんとなく過ごす一日は
亡くなった人が心から生きたいと思った一日

人間は脳の血管一本だって
自分の力でどうすることもできないものを抱えて生きている

その人の一生は人生で誰に出会ったか
何を聞いたかで決まるといってもいい

還る場所があることは有難いこと

人生には避けようとしても
どうしても通らなければいけない道がある
そんな時は愚痴や弱音をはかず
ただ黙って歩く
そして、その時
人間としての命の根が深くなる

今生きているのは自分の番だから
先祖を辿ると20代前では100万人を越す
過去無量の命のバトンを受け継いで
今、ここに
自分の番を生きている


お坊さんから教えてもらったことです


ひなまつり
2012.03.03 Saturday | 23:42 | 日記 | comments(0) |
今日は雛祭り
おばちゃんの命日
おばちゃんが死んでからまだ2年目

明日、法事があるので福山へ帰ってきた
ちょっと、休ませてもらおうと思っていたけど
慌ただしい日となった

同い年の従兄弟のひでくんが
仕事中に中指を落としてしまって
救急で病院へ運ばれた

ひでくんは金属を削る仕事をしているのです
一瞬の不注意で指を切断し
切り口も複雑で5時間以内に手術を終わらせないと
指がくっつかないとのことで手術できる病院を探したりと
慌ただしくなりました

おばあちゃんを見る人がいないとのことで
私と薫と認知症のおばあちゃんの3人で留守番をしました

おばあちゃんは朗らかに薫と遊んでいるかと思ったら
急に人格が変わって怖くなったり
いきなり1人で帰ろうとしたり
状況がわかっていませんでした

薫が産まれた時は
この部屋にきてくれて
私のことも薫の名前も解っていたし
覚えてくれていたのに
今は誰か解らない人と何処かわからない家で
不安そうに時間を過ごしていました

こんな切ないことってあるでしょうか?

薫の成長、おばあちゃんの中から色んなことが忘れ去られること
反比例を目の当たりにしました

でも、おばあちゃんは確かにここにいて体もある
こうやって薫と過ごしてくれる時間がどれだけ貴重なことか
全てのことに感謝いたします

やっぱり、人間って忘れるんです
どうやっても時間が経つと忘れていくんです
悲しいことも大切なことも

震災、原発事故、当時の感覚と今の感覚は同じですか?
確かに忘れていかないと、正直つらいです
でも、忘れてはいけないこと
考え続けなければいけないこと沢山あると思っています

自分が死んでいくときに
どれだけのことが残せるか
どれだけ人に影響を与えることができるか
そんな事を考えました

(ひでくんの手術は成功し、かたち上では指をくっつけることができました
仕事で忙しい日々が続き、疲れがたまっていた矢先の事故だったようです)


2月
2012.02.22 Wednesday | 16:08 | 日記 | comments(0) |
心にぽっかり穴が空いて寂しいです
頭ではわかっているのに
全然、私の状況は寂しくなんかないのに
気がついたらグーっと押し寄せてきます
何やかんやと毎日忙しいし
あっという間に時間は過ぎていくのに
ふとした時に泣きそうになります
ちょっとしたことで心が折れそうになります
一体、何なのでしょうか?
自分でもよくわかりません

毎日、体が重くだるいです
顔面ブツブツです
外は寒いです

薫が今まで体調を壊すことなく
元気に笑ってくれることが救いです
そして今、この子にとって本当に頼れるのは
親だけなんだと自覚しています


ありがとう


1月
2012.01.20 Friday | 00:42 | 日記 | comments(0) |
旦那の勤務先は梅田になりました

薫が朝起きる頃はお父さんは家を出ていません…
薫が寝た後にお父さんは帰ってきます…

お父さんがいないと言って泣きます
東京に戻りたいと言って泣きます

でも、なんとか楽しい時間をつくってやり過ごしています

「笑って!」と言ったら笑ってくれます

私もやることに順位をつけてバランスをとり
天気のいい日には外に出たりして気分転換しています



初詣
2012.01.06 Friday | 23:23 | 日記 | comments(0) |
京都へ帰ってきました

まだ、帰ってきたといった感じではないですが
福山と東京の移動の苦労を考えると
福山と京都の移動は宙に浮いたように気楽でした

そして、年が明けてやっと家族3人揃って生活できることになりました

福山の友達に報告すると拍手をして喜んでくれました
みんな何も言わなかったけど
心配してくれていたんだと胸が熱くなりました

よろしくお願いしますの思いを込めて
近くの下鴨神社へ参拝


薫はまだお父さんとの生活は半信半疑のようですが
早く2人の距離が縮まるとうれしいです


さ、やっとやっと私達の京都生活が始まります


おばあちゃん家
2012.01.03 Tuesday | 22:48 | 日記 | comments(0) |
おばあちゃんは今ここには住んでいないけど、おばあちゃん家へ

おばちゃんが死んでからは、おばあちゃんもここを出て行かざるを得ず
今は、おばちゃんの息子夫婦と子供だけが住んでいる

時間が経つと、おばあちゃんの家もだんだんと変わっていく
玄関前には大きな松の木が門のように立っていたし
もっと植木がたくさんあった

子供の頃は屋根に布団を干して従兄弟たちみんなでゴロゴロして遊んでた

お米を作っていた田んぼも今はアパートが建ってる

子供のころはみんなで田植えをしていた
裸足で田んぼの中に入るとめちゃくちゃ気持ちいいが虫が怖かった

何より楽しかったのが稲刈り
稲刈りというか子供だった私達は遊んでばかり
それでも怒られなかった
従兄弟は9人いたので集まるとそれだけで楽しかった
わらの上で食べるおにぎりと漬け物がめちゃくちゃおいしかった
みんなは炭酸ジュースを飲んでいたけど
私は喉がシュワッとなるのが苦手で飲めなかった

おやつの時間になるとお金をもらい
泥んこ長靴ワラまみれで自転車に2人乗り3人乗り
みんなでAコープまで買い物に行った
めちゃくちゃ楽しかった

おばあちゃんとヨモギを集めて
オレンジとヨモギを絞ってジュースにして飲んだ
おいしかった

子供の頃はおーーきいと思っていた柿の木
実がなりだすと、みんなで競って食べていたのに
今は誰も食べていない気配
おばあちゃんは干し柿を毎年つくっていて父がよろこんで食べていた

畑もさみしい

やっぱりおばあちゃんが住んでいないと
しきっていたおばちゃんがいないと
おばあちゃんの家じゃない

そうあって欲しいというのは私の勝手な思いです
きっと従兄弟達もみんな切ない思いをしているはずです
時間の流れは受け入れるしかないのか…と

古い家は手入れが大変
穴だらけ
チェーンソーが引っ張り出してあったので従兄弟に聞いてみると
「ちょっとずつじゃけど、手を加えてみようと思っとんよ」
そうかぁ
なんかちょっと嬉しいかも

さて、お墓参りへ
ご先祖様たちも降りてきたぞ



ねこちゃん、こんにちは

さんぽ…
連れてってもらいなよ



お墓参りと初詣
2012.01.02 Monday | 22:14 | 日記 | comments(0) |
向島のおじいちゃんおばあちゃんの墓参り
京都に引っ越したよと報告した
「ほうか、ほうか」と穏やかに相槌を打っただけで
何も言われなかった気がする

そして、親戚の集まるおじさんの家でお昼ご飯を食べた
毎年、おじさん達の魚釣りと島の話
おばちゃんの「そんなに言うんならあんたら釣りに行ったらいいじゃん」の
つっこみで話が終わる
今年もまったく同じパターン
それはそれで和む
今年は岩城島のいもけんぴがうまいと教えてもらった
食べてみたい

尾道の千光寺からの眺め
手前が本州側、向こうが向島
この先に愛媛までしまなみ街道が続いている
ここに立つとなんともいえない気分になる大好きな場所
尾道に住むことも少し考えた
もし私の余命があと少しということになったら
やっぱりここには来たいと思う

西国寺へ
わらじが祭ってあるのは健脚祈願ということで
この向こうには長い石段が続いている
登り切ると子授け祈願のおじぞうさまに会える

去年はせっかく授かった赤ちゃんを産むことができなかったので
そのお詫びにきた
あの子は男の子だった気がする
これから産まれてくる子供達が元気に育ちますように
できるだけ沢山の命が産まれてきますようにと
おじぞうさんに話しかけた
何ていう返事を返してくれたかわからなかった

今年の初詣は今までと違い
沢山の不安をかかえているので
なんとも言えない気分だった
ほんとうにこれからの日本はどうなるのだろう
放射能の影響はどこまで出てくるのだろう
自分には何ができるのだろう

自分の好きな場所が津波にさらわれ
放射能に汚染されてしまったら…と考えると胸が痛い
その時、私はいったいどうなるんだろう?

私は今まで東北に縁がなかったのであまり行ったことがない
今でも自分の故郷に帰れない人達
離れたいけど離れない人達
離れたくないけど離れた人達
その人達がどんな気持ちで、どんな覚悟で今を過ごしているのか
私にはわかろうと思っても
本当にはわかることができないのではないかと思う


大晦日
2011.12.31 Saturday | 23:09 | 日記 | comments(0) |
特に何もすることがないので携帯をiphoneに変えてみた

大晦日のauショップ
他にお客がいなかったので順番待ちしなくてすんだ

iphoneをあれこれ触って
旦那の実家で鍋食べて
年越し蕎麦食べて
紅白見て寝た


あかちゃん
2011.12.30 Friday | 22:44 | 日記 | comments(0) |

友達が3人目の赤ちゃんを産んだので会いにいった
3人目は女の子

薫もあかちゃんのことを可愛いと思うようで抱っこをしたがる

ちょっと前までは、私が赤ちゃんを抱っこしようものなら
焼き餅で怒っていたのにな

友達夫婦はこんな立派な家を建てた
子供も3人に増えてこれからが大変だと言っていた
産休があけたら共働きに戻る
今からそれを思うと憂鬱だと言っていたけれど
子供が目の前にいると頑張るだろう
いつでも話聞きます
疲れたら連絡ください

あ〜、子育ては自分育てだね


旦那も東京から広島へ帰ってきた
夜、うちの実家で
私の父と弟と旦那と4人で何故が夜中の2時まで話し込む
震災、原発、放射能、ハンセン病、水俣病、戦争
政治、日本、メディア、広島人が差別を受けてきた話など
このメンバーで笑顔ひとつなく語り合った
貴重な年末