今日は52歳でいってしまったおばちゃんの法事
あれは8年前だったかな
おばちゃんの病気、ガンが発症したのは
最初は喉
手術で腫瘍は取り切れたのに次は血液のガン
戦い続けたけれど
最終的には肺にまで転移してしまい
片方の肺がなくなり
水がたまるようになり
咳がとまらなくなり
もう長くはないと言われ
みんなで向き合ってきた
抗ガン剤治療で大変だったのに
会うとニコニコしてくれておしゃべりだった
死ぬと解って過ごしていたのに
未だにいないことが信じられない
おばちゃんは子供達と孫達と病院で誕生日を過ごした後
死んでしまった
みんなのめっちゃ笑顔の誕生日会の写真を見せてもらった
従兄弟は楽しそうに写真を見て振り返るけど
私はギリギリの感情でしか見れなかった
明らかに引きつり笑い
おばちゃんは離婚しているのでおじちゃんにはあまり会えなくなった
おばちゃんの子供は長女・次女・長男
3兄弟がなんだかんだ色々あるけれど仲良くて
3人でひとつといった感じが私にははっきり見えて
言葉に表せない気持ちになった
みんなそれぞれ家庭をもっているけれど
長女が影から支えながら3人で頑張っていくんだろう
子供の頃から一緒に過ごしてきたし
みんなが大人になっていることに感無量
おばちゃん、見てる?
みんなちょっとずつだけど成長してるよ
私はまた会いたいです
またお菓子食べながらあーだこーだ言いたいです
「なつみ、なつみー」って言って欲しいです
最後に会った日、私から距離をおいていたあの感じが切ないです
私にはどうすることもできなかった
何と話しかけていいかわからなかった
ごめんね
また、プラ〜と行ってしゃべって帰るだけという普通の日を過ごしたいです
もう無理なのかな?
そんなことってあるのかな?
法事の後、お寺のお坊さんと話した
おじいちゃんも54歳で亡くなっていて
おばちゃんも52歳という短い命だった
田舎だし、先祖代々のお墓も預かっているのでお寺さんとのお付き合いは長い
2人ともまじめで責任感が強くてしっかりしていたからこそ心労もあったと
いつも人のことばかり考えて目一杯頑張っていたと
おじいちゃんの性格のことを聞いたのは始めてだった
私が1,2歳の頃に死んでしまったから私には全く記憶がないのです
母とおばちゃんから、私が赤ちゃんの時おじいちゃんにお風呂に入れてもらい
うんちをしてしまい大騒ぎしたことがあると聞いたことがあります
おじいちゃん、その節はすみません
おばあちゃんは認知症で法事に来ていても?な感じなのに
お経だけはしっかり覚えていて最後まで読み上げていた
これには親戚みんなでびっくりした
あ〜〜
自分の血筋、ルーツ、思い出、家族、親戚
なんで私はここに帰ってこなかったんだろう
今はまだよくわからない

だれにだって、人には言えない悲しみ苦しみがあるんだね
黙ってるだけなんだね
泣くにも泣けず、誰にもわかってもらえず
つらかっただろうな
会っている間は別れている
別れてはじめて出会う
私がなんとなく過ごす一日は
亡くなった人が心から生きたいと思った一日
人間は脳の血管一本だって
自分の力でどうすることもできないものを抱えて生きている
その人の一生は人生で誰に出会ったか
何を聞いたかで決まるといってもいい
還る場所があることは有難いこと
人生には避けようとしても
どうしても通らなければいけない道がある
そんな時は愚痴や弱音をはかず
ただ黙って歩く
そして、その時
人間としての命の根が深くなる
今生きているのは自分の番だから
先祖を辿ると20代前では100万人を越す
過去無量の命のバトンを受け継いで
今、ここに
自分の番を生きている
お坊さんから教えてもらったことです